東海村の原子力施設見学と海老名紀行

 2月28日昼過ぎ自宅を出て福島県本宮駅から東北本線上りで郡山駅に向かった。本宮駅の上りホームは改札口側にあって段差はない。通勤用電車の床は高く介助を受け渡し板を使って電車に乗り込むが可成りの勾配だ。乗換駅の郡山で駅員さんが待機していて渡し板を使ってホームに降りホーム東京よりの端まで移動して荷物を積んだ台車も運べる大きなエレベーターで隣のホームに渡り同じく渡し板を使って茨城県水戸と福島県郡山を結ぶJR水郡線の気動車に乗る。水郡線の気動車は新型で床とホームの段差が小さく当然2ステップある段差も小さい又車両の側面には珍しく車椅子マークがついている。しかしトイレの構造が車椅子対応となっているかまでは確認出来なかった。郡山駅から乗車した客は高齢者が多く途中の駅から乗降する客も殆どが高校生で観光客は袋田駅から少し乗ってきただけでどこのローカル線も同じだ。やがて約3時間して水戸駅に到着するとホームには駅員さんが待機していて人力で列車からホームに降り車椅子も運べるエスカレーターで橋上にある改札口に上がった。改札口を出て左側に曲がった突き当たりの左側にある車椅子対応のエレベーターで地階に降りて歩いて5分位の水 戸プリンスホテルに到着した。ここは一般のホテルで車椅子対応にはなっていないが広めの部屋に泊まることにした。それでも小さな室内は通路も狭く車椅子の方向転換も出来ず洗面所も入口が狭く段差があり使えなかった。 

 翌日集合場所の水戸駅南口に車椅子に乗ったまま乗り込めるタクシーと他のメンバーが乗る中型バスが準備されていて少し待った後総勢8人で東海村の原子力研究所に向かいました。構内は広く車で移動します。私達はここで一般的な説明を受けた後研究用の原子炉を見学しました。衣服や靴に放射能が付着しないようにカバーをして、代表者の胸には放射能感知積算バッチをつけて施設に入りました。原子炉の上の見学用のデッキに車椅子は上がれませんが、横からそれなりの様子はうかがえ私にも専任のガイドがつきました。丁度原子炉の運転を始めるところでコントロール室内では操作員とチェックマンの二人で遠隔操作をして純水のプールに燃料棒を徐々に差し込みそれに従って発生する熱出力値を館内に放送し他の職員に注意を喚起しています。ある出力値になると計器や装置に異常がないか確認後再び出力をあげて行きます。この原子炉は多目的研究用で発生する中性子を使って脳腫瘍を破壊する治療も行われ効果を上げているそうでそのための施設も見学しました。見学が終わるとカバーを脱ぎ捨て体の残存放射能の有無や見学中に放射能を浴びなかったかバッチで確認し退室します。 

 次に見学した原子力廃棄物の中間処理施設は遮蔽版の外からマジックハンドを操作して圧縮し小さくなった廃棄物をドラム缶のような容器に詰め込み弱い放射廃棄物は青森県の最終処分場に埋められ放射能が弱くなるのを長い年月を掛けて待ちます。強い放射能廃棄物の最終処分方法はまだ決まっていませんが、地下水としてしみださないようにした後鉱山跡などに地下深く埋める方法が考えられています。青森県に造られている処分場の建設が遅れているために、各原子力発電所に設けられた放射能廃棄物の中間保管場所が一杯で行き場が無くなったり、原子炉「もんじゅ」で使うはずの原子力爆弾の原料となるプルトニュウムがナトリュム洩れ事故で使えず貯まりモックス燃料にして使おうとしたところデーター改ざんでストップがかかったり、昨年のJCO事故が発生したり高放射能廃棄物の処分方法が未定の状態で発電所が増設されようとたり知れば知るほど不安になりますが、冷静で論理的な議論が必要です。そのためには知らされていないことが多く理解できず議論しにくく敬遠されがちです。その上私達は物事をはっきりさせず何となく物事が進むシステムを好みます。臆せず素朴な議論をしたい と思っています。原子力研究所から3人を交えて懇談しながら昼食をとりました。勿論専門家からは公式見解しか聞けず個人的な見解が聞ければ又面白かったかもしれません。私は核融合の実現見通しを聞きましたが国策として研究を進めている以上建前しか聞けませんでした。メンバーには可成り勉強しているご婦人も混じっていて一般国民の感覚の延長上に先端的な科学者も存在すべだと言うことが理解されたのではと思いました。 

 午後からは原子力サイクル機構とアトムワールドの見学に移りました。原子力サイクル機構はデーター捏造で今話題の使い終わったウラン燃料にプルトニュウムを混ぜて再利用するモックス燃料の製造などを担当している施設ですが、今回の問題とは無関係です。車椅子では見学できず一般的な説明を受けた後アトムワールドに直行しました。アトムワールドは一般の見学者にガイドがついて原子力施設の理解を深める啓蒙活動をする施設です。慣れた口調で立て板に水と言った感じでモックス燃料などの説明を受けてましたが、解散時刻に会わせて途中であわただしく水戸駅に戻りました。私たちは小回りが利かないために同じホテルに泊まり翌日東京に向かうことにしてあります。 

 翌日水戸の良さも理解できないままスーパーひたちで上野駅に向かおうとしました。ホームに降りるエスカレーターは車椅子対応となっていました。電車が来て指定席に乗ろうとしましたが一般席でデッキにはどうにか入れましたが、車両中央部にある指定席までは通路の幅が狭く入れませんでした。その上デッキは寒く暖房が効いていませんが、やむを得ず妻は指定席に私はデッキに残りました。最寄り駅の職員がミスをして普通の座席を指定してしまったのでした。発車すると直ぐ車掌が検札にやってきて3号車が車椅子に対応していると言うが、水戸駅の次は終点上野駅で3号車まで渡れません。やむを得ず入口に座っていたお嬢さん達の好意で席を交換して貰ってどうにか座席に座り、駅員さんが待機していてくれた上野駅に到着しました。心配になり帰りの東北新幹線切符を確認すると案の定普通の指定席で、車椅子用の座席に変更した後駅員さんの案内で可成り急なスロープを通ってタクシー乗り場に向かいました。私達が断るにも拘わらず付き添ってくれたのには訳がありました。秋葉原に向かい時間を過ごした後ラッシュ時間を避けるために新宿駅にタクシーで向かいました。新宿駅から小田急 線の箱根湯本行き、急行電車で神奈川県の本厚木駅に行きタクシーで怪我する前に住んでいた、今は娘が住んでいる海老名市のマンションに向かい2月に結婚した娘の引っ越し準備の手伝いに向かうのです。新宿駅はタクシー降り場から急行電車乗り場までは段差がありません。駅員さんの介助で電車に乗りやがて本厚木駅に電車が到着すると停車位置に駅員さんが待機していて車椅子対応のエレベーターで降り、昔なつかしい「立ちそば」を食べ改札口を通りスロープを使ってタクシー乗り場からマンションに到着しました。一つ手前か二つ手前の駅で降りれば便利なのですが、エレベーターもエスカレーターも無いために乗り越してから一駅戻ったのです。勿論私は椅子に座ったまま達磨さんのように動けませんので妻が一生懸命頑張っています。 4泊した日曜日の朝息子の車で本厚木駅から電車で新宿に向かいました。途中の町田駅で二人の駅員さんの介助を受け電動車椅子の男性が乗り込んできて車内の運転席近くに2台の車椅子が揃いました。彼の側にはボランティアでしょうか若い女性が付き添って堰を切ったように話しています。途中で降りるときは駅員さんが向かいに出ていましたが、彼が持参した小さな長さ 30センチ位の渡し板を彼女が車両とホームの間にセットすると自走して降りて行きました。暫くして終点の新宿駅に到着すると停車位置に駅員さんが待機していました。私はこの駅でJR中央線に乗り換え東京駅に向かいます。電車を降りて出口近くのエレベーターで2階ホームに上がり乗り換え口でJRの駅員さんと交代し車椅子の前輪を浮かせてエスカレーターに乗り中央線ホームに上がりました。昔懐かしい飯田橋を通過し東京駅で待機していた駅員さんの誘導で丸の内南口の待合室まで案内してくれました。駅員さんは新幹線の発車時刻を控え集合時刻を確認して去ると私達はまたタクシーで秋葉原に向かいました。 

 秋葉原は繁華街よりも上野方向に離れたエリアにいろんなジャンク屋があり、前回は中古のパソコンをとてつもない値段で買いました。秋葉原はパソコン関係が元気で車椅子を使っている方ともお会いしました。日曜日の午後からは歩行者天国になり道の真ん中をゆったりと我が物顔で通れます。昌平児童図書館は日曜日も開いていて車椅子用トイレもあり電動車椅子のバッテリーの充電もさせて貰ったことがあり、町には親切な人も多くここに来ると生きていることが実感できる楽しいゾーンです。昼食はエレベーターもあり車椅子でも問題なく利用できる万世橋たもと東京よりの地下にある万世ラーメン屋に入りました。

 再びタクシーで東京駅に戻り、新幹線と在来線使って本宮駅に戻ってりました。本宮駅は下りホームから改札口に出るのに線路を跨ぐ階段を上り下りしなければなりませんが、その時何時も誰かが「お手伝いしましょうか」と声をかけてくれます。今回は男子高校生でした。心の豊かな本宮町に住んで良かったと思うと同時に発憤させられます。皆さん有り難う。

 あとがき
 JR東日本各駅の車椅子用トイレにはトイレットペーパーが準備されて無く暖房も無い場合が多いようです。上野駅は勿論水戸駅はペーパーホルダーさえも見当たりませんでした。東京駅南口の障害者用待合室隣のトイレには備えられていましたが、無いものとして準備して置いた方が無難なようです。どなたかに持ち去られ鼬ごっこになるので備えていないのでしょうか。

 車椅子用リフトタクシー
 水戸市には車椅子用車両を1台備えたタクシー会社があります。この車両にはリフト装置と車椅子2台分のスペースと座席が4つついていて初乗り運賃は普通のタクシーと比べて約100円高く設定されています。運転手さんは親切・丁寧な運転で一度も不安になりませんでした。利用する際は予約が必要で連絡先は次の通りです。
会社名 株式会社 第一常陽タクシー
住 所 茨城県水戸市渋井町620-3
電 話 029-221-3070
FAX  029-221-3032

平成12年3月15日 五十嵐 節

 五十嵐氏はこれまでにも、「北海道の札幌空港及び札幌駅などのレポート(12.September.1998)」・「ドイツ紀行」・「郡山市でジェトロが主催した外国製福祉機器の展示会のレポート(28.January.2000)」そして今回の「東海村の原子力施設見学と海老名紀行(15.March.2000)」とご多忙にもかかわらず毎回有益な情報をお寄せ頂いております。
 五十嵐氏は科学技術庁が募集した原子力モニターになっておられる関係で、東海村の原子力施設などの特殊な場所に訪れる機会があるようです。石油の代替エネルギーとして原子力が必要であることは分かるのですが、その安全性については先日の東海村の事故といい日本各地での放射能廃棄物の処理など、まだまだ私達には不明な点や不安なところがあります。そのような中での五十嵐氏のレポートが、私達が今後原子力をどのように考えるか各々の参考になればと思っております。

 <伝言Q&A>
 「北海道の札幌空港及び札幌駅(12.September.1998)」
 「郡山市でジェトロが主催した外国製福祉機器の展示会(28.January.2000)」
 「東海村の原子力施設見学と海老名紀行(15.March.2000)」

 また、JR東日本の各駅の様子と「車椅子用リフトタクシー」(水戸市)の情報、そして小生もPC関連の物(ジャンク物)を漁ってみたいと思っている秋葉原の様子などとても参考になりました。\(^o^)/

 五十嵐氏も感じられたようですが、電車の停止位置が正確で連絡しておけば駅員が待っていてくれるという配慮に小生もいつも感心しております。
 また、地元であろうが旅先であろうが、見知らぬ人からの温かい心遣いというのは有り難いものですし、人間って素晴らしいものだと感じさせてくれる一瞬でもあります。そういう意味では「心の豊かな本宮町」に乾杯!

 いつも有益な情報とレポートをお寄せ頂き有難うございます。今後ともよろしくお願いします。

by sennin  

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